住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/06/30

無常を観じるということ

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
人間、そう簡単に死ぬものではないが、しかしいつ死ぬかわからない。

一寸先のことはわからない人生だから、いつ死んでもいいような生き方をしていないといけない。

道元禅師に『学道用心集』という著作がある。仏道を修行する者が心掛けるべき十ヶ条の心構えを示したものである。

実は今、ある出版社から依頼されてこの『学道用心集』の現代語訳を執筆している最中であり、頭を悩ませているが、その第一番目の用心として、無常を観じること、時間の経過が速やかなことを自覚することの重要性が示されている。

まず、世の中が無常であることを、しっかりと自覚すること、それが仏の道を歩む出発点であるという。

一年は早いものである。ようやく暖かくなってきたと思っていたら、もう桜の季節も終わってしまった。人間、八十回ほど、この一年を繰り返せば、だいたい、あの世行きである。

一ヶ月もあっという間である。月一度開催の常円寺仏教大学の講座も、この間終わったかと思えば、もう間近に迫っている。

一週間も、足早に過ぎ去っていく。昼食を食べながら、今日は、また「のど自慢」か、などと思う。

一日一日も、なんと速いことか。
16:00 | いのち