住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/08/08

道元禅師が説く生死

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

生死の問題を明らかにする

人は、この世に生まれ、それぞれの、さまざまな人生を生き、そしてやがて死んでいく。ところで、「生まれる」とはどういうことか、「この世」とは何なのか。いったい何が生まれるのか。それは「命(いのち)」か。そもそも「命」とは何か。そして、「死ぬ」とはどういうことか。

この非常に重要なことが、現代の科学でも完全に説き明かされてはいない。この世(宇宙)は依然として謎につつまれており、生命についても遺伝子の仕組みは解明されても、生命そのものが明らかになったわけではない。

仏教においても、生とはなにか、死とはなにかを明らかにすることが、極めて重要な課題であった。科学的にではなく、自らの問題としての解決である。

道元禅師はいわれる、
生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり。
(『正法眼蔵』「諸悪莫作」)

〈生とは何か、死とは何かを明らかにすることが、仏教において最も大切なことである〉
と。そして、この難解な問題について、多くを説き、懇切に教えているのである。

しかし、道元禅師の場合、それがまた、実に難解である。
16:00 | 道元禅師