住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2011/12/25

生涯学習のすすめ

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
……生涯学生、臨終卒業……

「死ぬまで勉強だね」

松原泰道老師の言葉に、「生涯修行、臨終停年」という語がある。松原老師にとって最も大事な人生の〝杖ことば〟であるという。老師は明治四十年(一九〇七)生まれであられるから、御年九十五歳、それをまさに実践しておられる老師である。

一生が「修行」であって、臨終の時が「停年」であるという。「定年」ではない。臨終の時は永遠の生命の〝一時停止〟の年であり、さらに生の縁に恵まれれば新たな人生において修行を続けたいから「停年」であるというのである。

いま私も、松原老師の御著書の中の素晴らしい言葉やお話を紹介しながら、読者の皆さんに生涯修行の一つの在り方でもある生涯学習をすすめたい。

古川大航〔ふるかわだいこう〕老師(前・妙心寺管長)は、九十八歳の長寿を保たれた禅の高僧である。いつも口ぐせのように松原老師に、
「上手に年を取りたいなあ」
とおっしゃっていたという。そして、
「それには勉強だね、死ぬまで勉強だね」
とも言われていたという。

このような思い出をふりかえって松原老師は、
どうやら管長さまは、ご自分に語りかけておられたようです。死ぬまで勉強だ……の一言を、このごろしみじみ味わいます。勉強といっても英語を学んだり、むつかしい本を読むことではありません。どのように身体を動かし、言葉を使い、考え方をしたらいいかを学ぶのです。自分を勉強すると言い換えてもいいでしょう。現代の老人の私たちは、「敬老」に甘えてばかりいてはいけない、ということです。自分を考え、自分の老いを学ぶ〝学老〟になりたいと思うのです。〝学老〟とは、読んで字のとおり〝老いを学ぶ〟ことであり〝学ぶ老人〟でもあります。いつも学び考える人は、若々しさを失いません。
(松原泰道全集5『法華経の心』)
と。

そうおっしゃる松原老師は、まさにこのことを実証しておられる。昨年夏、私の師寮寺(長野県伊那市常円寺)の夏季文化講座に御講演に来てくださり、さわやかな語り口で、時にユーモアもまじえながら、満堂の聴衆を魅了された。なるほど、若々しさを失っていない。老師自身、学び考え続けておられるからであろうか。
16:00 | 人生