住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/05/10

道元禅とは何か

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

禅とは何か

道元禅とは何か、その前にそもそも「禅」とは何か、まず、仏教の流れの中での、その位置づけを、簡単に述べてみましょう。

仏教を開かれた釈尊およびその弟子たちの在世中の時代が「原始仏教」の時代ですが、その後、しだいに教団の内部で意見の対立が生じ、保守的な「上座〔じょうざ〕部」と進歩的な「大衆〔だいしゅ〕部」に分裂し、さらに二百年から三百年後には十八から二十の部派に分かれてゆきます。いわゆる「部派仏教」の時代です。この時代の僧侶は、釈尊が教えた遍歴の生活をやめ、王族や豪商などの保護のもとに安定した定住生活を送り、学問や自己の修行(主に冥想)に専念していました。

紀元前一世紀頃、このような仏教のあり方に対する反発・批判がおこり、仏教の革新運動が起こりました。これまでの仏教を「小乗」(小さな乗り物)と批判し、自らを「大乗」(大きな乗り物)と称して、ここに、広く民衆の救済を目指した大乗仏教が誕生します。

大乗仏教の人々は、釈尊の仏教の原点に返り、広く人々を救う立場から『般若経』『法華経』『華厳経』『涅槃経』などの、いわゆる「大乗経典」を作成し、実践的・大衆的な仏教を発展させますが、この大乗仏教も、その後、二、三世紀にわたって思想的に大いに発展を遂げるなかで、再び極めて哲学的・学問的な色彩を帯びて行きました。そして、このころのインドの仏教が中国へと伝来してゆきます。

インドから中国へ仏教が伝来する時、当然のことながら、インドの言葉から中国の言葉へと、その教えが翻訳されます。そこで、中国へ伝来した仏教も、まずは翻訳並びにその註釈といった分野で展開し、自ずと学問的な仏教となり、大いに発展しました。しかし、そのような中で、再び中国において、これらの仏教のあり方に対して反発・批判が巻き起こるのです。ここにおいて勃興したの中国の「禅」でありました。
16:00 | 道元禅師