住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/03/08

『正法眼蔵』「現成公案」

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
……この現実の世界をどのように見、どのように生きてゆくか。

『正法眼蔵』の第一巻

「現成公案」巻は、七十五巻本『正法眼蔵』の第一巻に収録され、『正法眼蔵』の中でも古来、重要な卷と見られている。

「現成公案」の現成とは、現前に成就していることであり、ありのままに現れていることをいい、公案とは、その原意は「政府の法令」を指し、動かすことのできない法則、絶対的な真実をいう。よって、「現成公案」とは、ありのままに現れている真実のすがたのことと解釈しうる。

ところで、「古則公案」という語がある。古則とはすぐれた古の禅僧たちが語った、あるいは問答を交わした語句や、また行動のことであり、これを参究することを公案という。

道元禅師が、『正法眼蔵』「現成公案」卷において我々に示しているのは、第一に、ありのままに現れている現実の受け止め方についての洞察であり、第二に、その受け止め方こそ「現成公案」であり、いわゆる「古則公案」ではないことを明らかにし、現実を生きること、すなわち実践の重要性を示されたものと思われる。

道元禅師の『正法眼蔵』は、さまざまな仏教や禅の言葉を取り上げて、これをテーマにして、その真意を明かそうとされたものであるといえる。そこには、種々の古則が引用され、解説されており、まさに古則公案集であるかの印象を受ける。

道元禅師が、この「現成公案」巻を七十五巻本『正法眼蔵』の第一に置かれたことは、意義有ることに違いない。それは、「現成公案」を第一として、これに続いて編集された巻々が、古則公案集ではなく現成公案集であることを開顕したものであると考えられるからである。

道元禅師の公案解釈には、尋常の解釈ではなく、きわめて異質で特異な解釈と思われるものがある。しかし、注意深くこれに参ずれば、その多くが実践的な立場から、現実的写実的な視座から把捉されているように感ぜられる。その解説は、単なる知的な解説ではなく、古則の中に示された活き活きとした、あるいは真剣な、あるいは洒脱な、師と弟子の禅機を、ありのままに、現前のことのように、示そうとされたものなのである。

「現成公案」という言葉には、そのような道元禅師の思いが込められ、この巻の選述意図は、『正法眼蔵』が「古則公案」ではなく「現成公案」示した法語集であること表明したものといえよう。
16:00 | 道元禅師