住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/07/18

現代の生命観と道元禅

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
『正法眼蔵』「山水経」に次のような説示があります。
世界に水ありといふのみにあらず、水界に世界あり、水中のかくのごとくあるのみにあらず。雲中にも有情世界あり、風中にも……、火中にも……、地中にも……、法界〔ほっかい〕中にも……、一茎草〔いっきょうそう〕中にも……、有情世界あり。有情世界あるかごときは、そのところかならず仏祖世界あり。かくのごとくの道理よくよく参学すべし。

〈世界に水があるというだけではない。水の世界にも世界がある。水の中がこのようであるだけではない。雲の中にも有情世界がある。風の中にも……、火の中にも……、地中にも……、法界の中にも……、一本の草の中にも……、有情世界がある。有情世界があるところには、かならず仏祖世界ある。このような道理をよくよく参学しなさい。〉
有情とは、命あるものであり、こころを有するものという意味です。つまり、あらゆるものの中に「こころ」をもつものの世界があると道元禅師は言われるのです。

現代科学においても、有機物と無機物の境を説明できなくなりつつあると言われます。われわれ人間とその他の動物との違い、動物と植物との違い、植物と鉱物との違い……、確かに違うのですが、明確な境界線が引けないというのです。そもそも、生命とは何か、生命はどこからやって来たのか、ということを現代科学も解明できていないのですから、現代科学も、道元禅師のこのような説示をけっして否定できないのです。
16:00 | いのち