住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/02/15

禅宗における釈尊

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

歴史上の釈尊

禅宗という宗派は日本には具体的に存在しないが、中国禅の流れを汲む日本の臨済宗〔りんざいしゅう〕・曹洞宗〔そうとうしゅう〕・黄檗宗〔おうばくしゅう〕の総称として、禅宗と用いられている。

これら禅宗における釈尊は、今から二千五百年前、釈迦族の王子としてインドに生まれ、二十九歳で出家し、六年間の禅定・苦行の修行ののちに悟りを開かれて成道され、その後四十数年の間、ガンジス川の流域を中心に伝道の旅をされ、八十歳にて入滅された、歴史上の釈尊である。

禅宗宗派における本尊は、この歴史上の釈尊であるところの釈迦牟尼仏であり、基本的に釈迦牟尼仏を大恩教主〔だいおんきょうしゅ〕と仰いで崇敬している。

とはいえ実際、禅宗各寺院にはそれぞれの本尊があり、お釈迦様のみでなく観音様や薬師様などさまざまの本尊を祀っている。これは、禅宗の僧侶が、他宗派の寺院として既にあったお寺に住職として入り、そのままそのお寺の仏像を本尊としたためであり、ここにまた、本尊といえどもこれにもとらわれない禅僧の気風がうかがえる。

その、とらわれのない気風の由来は、釈尊を尊崇しながらも、その釈尊は決して偶像、仏像としての釈尊ではなく、歴史上の釈尊であり、以下述べるように、その教えが綿々と伝承され当代の禅僧自身に至るのであり、ゆえに自らが釈尊の法の伝承者として釈尊に成り代わって説法するという、自らを拠り所とするあり方を目指すからである。

そのようなあり方は、黄檗の礼拜にも知られる。黄檗希運〔おうばくきうん〕は、よく礼拜をこととした。額には礼拜こぶがあったという。あるとき、礼拝している黄檗に僧がたずねた、禅僧がなぜそのように礼拜するのかと。黄檗は「ただ、このように礼拜するのだ」と答え、礼拝するのみであった。

黄檗は、他に仏を求めて、それを対象にして礼拝していたのではない。礼拜という自らの行に、仏としての自己を体現せしめたのである。礼拝している黄檗自身が仏であったのである。
16:00 | 釈尊