住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/08/28

道元禅師の仏教

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
― 専修「坐禅」と卓越した「言葉」 ―

はじめに

道元禅師の仏教の特徴といえば、やはり「坐禅」である。

そして、もう一つの特徴といえば、『正法眼蔵』を主著とするその膨大な著作における卓越した「言葉」である。

ところで、この二つの大きな特徴は、常識的に考えれば相い反するものである。つまり、「もっぱら坐禅をしているのでよいのであれば、机に向かって文字を弄することもないはずであるのに」ということになるのである。しかし、この、常識的に相い反する二面を併せ持つのが、まさに道元禅師の特徴である。

もし、道元禅師が正伝の仏法における「坐禅」を開顕し、その「坐禅」を自ら生涯を貫いて実践することがなかったならば、つまり「坐禅」という実践行がなかったならば、おそらく今日の曹洞宗教団はあり得なかったであろう。もちろん、教団が今日まで存続し得たのは、ひとり「坐禅」の力ではなく、むしろ葬祭、先祖供養、祈祷といった儀礼を取り入れたことが大きな要因であったことは否めない。しかし、少なくとも初期の道元僧団は坐禅を中心とした修行によってその命脈を保っていたはずなのである。

そしてまた、道元禅師が正伝の仏法を「言葉」によって表現することがなかったならば、その教えは今日まで正しく伝えられることはなかったであろう。そして、宗門内においては信仰の書として、一般においては、極めて優れた哲学書として、多くの人々の人生の道標となることはなかったのである。
16:00 | 道元禅師