住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/09/21

お先にどうぞ!

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

お彼岸の由来

仏教では、一般的に、私たちの迷いの世界を川のこちら岸(此岸)に例え、理想的な仏の世界をあちら岸(彼岸)に例え、この川を渡ることが修行であるとし、修行に精進して、こちらの岸からあちらの岸に到達することを目指しました。

いわゆる「お彼岸」は、昼と夜の長さが同じになる春分・秋分の日を中日に、前後三日を合わせた一週間を、修行の最適な時期として設けられたものです。そして、修行して「さとり」を開くこと、それが彼岸に到ることとされました。

悟りを開くということ

ところが、道元禅師は、「さとり」ということについて、「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり」(『正法眼蔵』「発菩提心」)と説かれ、菩提心(さとりの心)を発こすというのは、自分がさとりの岸(彼岸)へ渡る前に、他の一切の人たちをさとりの岸に渡そうという願いをおこし、実践するのであると示されました。この心を「自未得度先度他」の心と言います。これが「さとりの心」であり、この心を持ち、それを実践することが大切であると教えられているのです。
16:00 | 行事