住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/01/15

大いなる願い

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

菩薩の誓願

衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
これは「四弘誓願文」という偈文です。これは菩薩の誓願です。

私は、仏前にてお参りするときに、小さな声でこの偈文を唱えます。
「衆生は無辺なれど誓願して度せん」
衆生は無限です。この無限なる衆生を全部、済度してからでなければ、自分は向こうへ渡らない、というのが菩薩の誓願です。
「煩悩は無尽なれど誓願して断ぜん」
煩悩というのは尽きることがないのです。断じ尽くすことがない煩悩を、誓って断じようというのです。
「法門は無量なれど誓願して学せん」
法門というのは、仏の教えです。「大蔵経」とか「一切経」と言われる膨大なお経が残されています。学び尽くすことは不可能です。そればかりではありません。仏の教えは宇宙に満ち満ちているのですから、それらを学び知り尽くすことは不可能です。そうなのだけれども、全部勉強してからでなければ、自分は仏にはならないと菩薩は言うのです。
「仏道は無上なれど誓願して成ぜん」
仏の道というのには頂上がないのです。登っても登っても頂上がないのです。頂上がないのだけれども菩薩は、登ってみせると言っているのです。

そうしますと、この「四弘誓願文」というのは、四つとも全部「出来ないこと」なのです。出来ないことを、菩薩はやってみせると言っているのです。これが菩薩の誓願です。ですから、この誓願は生涯つづくのです。
16:00 | 雑感