住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/04/29

仏教が与えてくれるもの

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆

宗教を信じますか?

学生たちに「何か信仰している宗教はありますか?」と尋ねると、ごく希に「仏教です」とか「キリスト教です」とか「神道です」などと、はっきり答える学生もいますが、多くの学生は「特に信仰する宗教はありません」とか「私は宗教を信じません」とか「無宗教です」と答えます。あるいは、「私は宗教には関係ありません」とか「私には宗教は必要ありません」と、きっぱり言う学生もいます。

人々の幸せや平和を願うはずの宗教が、互いに対立し争って戦争を繰り返したり、人々を悩みから救済してくれるはずの宗教が、人々の苦悩につけ込んで、多額の布施をだまし取って、かえって人々を苦しめたり、あるいは「救済」の名のもとに無差別殺戮を行う宗教まで現れれば、宗教に対して「信じません」「関係ありません」「必要ありません」と言って警戒心を抱くことは無理もないことなのかもしれません。

しかしながら、宗教、ことに仏教とは何かといえば、つまり本来仏教とは何かといえば、それは、もっと根元的な、「信じる・信じない」「関係ある・関係ない」「必要・不必要」といった次元の問題ではなく、現実世界のあり方の洞察、よりよい生き方の探求なのです。

そこで私は大学で学生たちに仏教を教えるにあたって、「仏教を信じますか?」という質問を投げかけ、そして、この質問が、実は質問として成り立たないことを以下のようにお話するのです。
16:00 | 仏教