住職就任のご挨拶


平成十五年(二〇〇三)一月十八日に当山第二十七世佛山宗道大和尚が遷化され、同二月一日付をもって曹洞宗管長より辞令を受け、第二十八世住職に就任いたしました。
昭和五十八年七月に副住職に就任するにあたり、すでに檀徒総代会で後任住職としての了承を頂いておりましたので、住職遷化にともない自動的に副住職が住職となった次第です。

とはいえ、私といたしましては、自らの所信を述べ、その上で檀信徒の皆様の信任を得て住職になるという形式をとりたいと以前より考えておりました。
本来、寺院は住職(個人)の所有するものではなく、世襲すべきものでもなく、住職もまた寺院を支える者の一人であり、檀信徒の皆様すべてによってよりよいかたちで護持していかなければならないものであると思うからです。
信任を得るという形式はとれませんでしたが、ここに以下、私の思うところを申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
 

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2012/03/25

二十一世紀の仏教

Tweet ThisSend to Facebook | by:角田泰隆
高齢化社会を迎え、会社を定年退職して、第二の人生を歩み出そうとする社会人が増えている。また、結婚しない人や子どもをもうけない夫婦あるいは授かれない夫婦も増加し、将来や老後に不安をもつ人々も多くなってきた。

戦後日本は、高度経済成長の中で、自らの利益と便利・快適さを追い求め、結果として環境を悪化させ、現在、深刻な環境問題にも直面している。

高齢化、少子化、環境の悪化。その他、日本の未来は多くの問題を抱えている。

ところで最近、出家を志す若者が増えている。彼らの多くは、現実社会を厭い、そこからの解放と自由を求めて出家する。彼らはそれぞれ、生きるとは何か。人生とは何か。真の幸せとは何か等、本質的な疑問を持ち、それらを真剣に考えている。

また、停年退職を間近にして、第二の人生を出家者として生きることを希望する壮・老年層の人々が出てきている。彼らは、小さな庵にでも入って、経を読んだり、写経をしたり、念仏をしたり、坐禅をしたりして、「修行」という自分探しの第二の人生を歩みたいとこころざす。しかし、現実的に、そのような出家は理想にすぎない。

しかし、これらの人々に仏教はどう応えてゆくのか。それが、二十一世紀の仏教のひとつの課題であると私は考えている。彼らを受け入れる受け皿が必要な時期に来ていると思われる。
16:00 | 雑感